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気まぐれに更新。

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月の光

あの人が思い浮かぶ時には、いつでも、一番美しい表情で、一番気に入っている仕草で、一番綺麗な部分だけが映るような角度でその姿は現れた。
 だからこそ、理想の言葉を並べたときそっくりの嘘くささが滲んでいて、自分の創作したあの人の理想像を崇拝しているだけに見えて、そのたびに心臓にアルミホイルが巻き付けられたように不安がまとわりつき、じくじくと全身を巡った。
 ぬくもりが少しずつ漏れだして温度が失われていっている指先が触れた喉は、大きく響く拍動の中に紛れる想いが声にならないもどかしさにかすれ、ただれた痛みのせいで荒い呼吸音を放っていた。
 熱いような、寒いような、布団をかぶっている意味のない寝床の中で、気がつけば両目から、はらはらと二筋の川が生まれていた。
 枕に顔を埋めてもあとからあとから無限に涙が湧いてきて、止まる気配がないことがたまらなく情けなく感じられた。
 あの人の、長く弧を描くまつげが瞬く姿、流れる髪の、永遠に見ていても飽きないように思われる姿、熱心に考えごとをしているとき子供のように半開きになる唇のふっくらとしていて、薄桃色に染まっている姿、瞳をのぞき込めた時にはじめて知った、紅茶色の暖かく澄んだ色をたたえた姿が次々に思い出されて、泣きじゃくっているこの瞬間にもあの人を求めて体中が甘い熱にうなされていることを知って、指先は細やかに震えていた。
 胸の中に、春の曇り空のような湿気と生温かさを含んでいるあの人への想いがこんこんと湧きだしていて、そのせいで涙はいよいよ止まらなくなっていた。
 思わずシーツを握りしめると、その先にさえあの人の腕があってほしいと願っている自分に気づかされて、それでいて、あの人に想いを伝えられるはずのない勇気のなさが薄いシーツの向こうに透かし見えていた。
 夜が早く終わればいい。そうすれば熱を持ち病的に肥大化したこの想いと付き合う時間から解放されるから。
 夜が永遠に終わらなければいい。そうすればあの人と顔を合わせることもなくて、想いを仕舞い込む必要もないのだから。
 私がどちらを願えばいいのか分からないままでいるせいで、秒針の刻んでいる音の間隔はとても中途半端な長さで部屋を満たしていた。ただ満月の白く、まっすぐに差し込んでくる光だけが、この部屋を貫いていた。
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雪の糧

「雪はなにを食べて生きているのでしょう」
 白く塗り潰されてゆく景色を見てあの子はぽつりと呟いた。
「海にも雪が降るといいます」
「ええ」
「海の底に注ぐその雪は、深海の生き物の糧になるそうです。陸の雪だって、溶ければ草木を潤します。では、雪はなにを食べて生きているのでしょう」
 鈍色の雲は重く、電線に支えられてかろうじて宙に浮いている。しばらく雪は止まないだろう。
 あの子は眼球が落下してしまうのではないだろうかというほど目を見開いて、まだ窓の向こうを見つめたまま考え込んでいる。

「音を食べているのかもしれない」
「そうかもしれませんね」
 あの子はそれ以上言葉を接がなかった。
 耳が痛くなるほどの無音の中で、深海の雪に海の囁きが呑みこまれてゆくさまがふと頭の隅に浮かんだ。

蝸牛

僕の耳の中にはかたつむりがいる。
雨の前になると機嫌が悪くなり、僕の耳はもれなく腫れる。
たぶん、雨なのに外に出られないのが不満なんだろう。

シレーネ

低くうねるような暑さが体中に吹き付ける。高い建物がなく、切り取られるもののない空はどこまでも広く、ふくふくと大きな雲をいくつかその朗らかな青の中に置いていた。機内預かりのキャリーケースがコンベアーを流れてくるとひっつかんで小さな空港を歩いてゆく。一人旅で、最低限の荷物だけを積めたキャリーケースは私の歩調に合わせて軽快についてくる。
 空港を出ると、アロハシャツを着て、強い日差しに日焼けしたスタッフたちが各々のホテル名と予約団体を印刷した紙を持ってわんさと待機している。予約を入れたホテルの名前を改めて確認して、愛想のいい笑みを浮かべる男に自分の名前を告げた。
「えと、ひとり、今日からよんにちかん、泊まる、ナカムラさんね?」
「それです、日本語話せるんですね」
「ちょっとだけ」
 そういって照れたように笑う男に案内され小さなバスに乗り込む。しばらく待っていると他に同じ便で到着したらしい人がもう数人、やはり彼に導かれ席についた。エンジンのかかる前の車内は、アスファルトの熱まで入り込んできていて、窓を開け放っていてもむわむわとした熱気に包まれている。
 単純な作業に没頭して暑さから意識をそらすようにパスポートを手荷物の奥深くに収納し、両替済みの紙幣の詰まった財布を取り出す。それから、丁寧にプランを練ってふせんの散らされた観光ガイドを開いて、手持ちぶさたにぱらぱらと流し読んだ。

「どもすみません、出発します」
 ようやくさきほどの彼が最後の乗客を連れてバスに現れると、まもなく不愛想な運転手がエンジンをかけてようやく轟々と音を立て冷房が稼働し冷気が車内に満ちる。溶けるような暑さか、凍えるような寒さか、心地よい温度はこの世界にはめったにない。薄い長袖のカーディガンを羽織ると、窓の外に映る、夕暮れのとろとろと流れる蜂蜜のように赤く輝く日差しに気づいて思わず嘆息する。
 楽園が地上にあるならば、それはきっとこういう瞬間を集めて凝縮した場所なのだろう。少なくとも、私は地上の楽園の一端に、今、こうして触れている。触れていられる。
 穏やかな幸福感に満たされながらバスに揺られていると、やがて観光ガイドで見た通りの建物の前でゆるやかにブレーキがかかった。

 一通りチェックインの手続きを終え渡された鍵と同じ数字の部屋へ入るとようやく安堵のためいきが漏れる。何度旅をしても、この瞬間まではどうも気が抜けない。長時間にわたる移動に蓄積された疲れが脚に、肩に、目に、緊張がゆるんだ途端どっと出る。
 ふらふらと洗面所へ行き、ごく薄くだが塗っていた化粧を落とす。蛇口をひねると、幸いにして水は勢いよく十分に出た。多少値の張る旅になったが、泊まる間気持ちよく顔を洗いシャワーを使うための必要経費と思えば安いものだ。お湯が一定の温度で出るかは現時点では不確定要素だが、この様子ならばそう不満のたまるものではないだろう、と自分に言い聞かせ一気に顔を洗い流すとごしごしとタオルで拭いた。
 それからコーラを片手にベッドに腰掛けオーシャンビューの景色を眺めていると、蜂蜜色の日差しはいよいよ空に溶けだし、夜の青い羊水と混じりあってカクテルのような甘い夕暮れを、地上に楽園の姿を描き出していた。その色合いに、サンセットビーチ、という単語が自然と口をついて出る。鮮やかなその言葉の印象に誘われるように、脚が完全に日が暮れる前に散歩に行きましょうよと囁いた。私はサンダルにワンピースで、ホテルのプライベートビーチへと歩き出す。

 エレベーターを降りてすぐに波の音が耳を満たした。人の少ない白い砂浜とヤシの木はすべて日の色に染められ、なんともいえない穏やかでゆったりと流れる時を生み出している。
 一人、短い海岸線をうろつき、貝など探すふりをしてみるが、ただ一人でぼんやりとこの景色を味わうことを責める人も誰もいないだろう。緩やかな時の流れは、心のきつく組まれた段組までゆるめてくれる。あまりに明快な、それでいて得難いその時間を得るためにここまで来たのだし、私はだからこれからも旅をする。なにもないことが許される時間を見つけるために、飛行機に乗る。それなのに毎度毎度ガイドブックにいくつもふせんを張り付けて綿密で厳密な計画を立てている私は、きっと時間をケチに使いすぎている。
そう考えるうち、口の中から思わずもっと気楽になれたらとでもいうような重く湿ったためいきがひとつ飛び出した。

「お疲れですか?」

 こんな場所で出会えるとも期待していないなめらかな日本語が聞こえてきて驚き顔をあげると、足首ほどまで水に浸かり、長い髪をなびかせている女性が心配そうな顔でこちらを見つめ、私との間に開いている数メートルばかりの距離を歩いてくるところだった。こんな目の前にいて気がついていなかったことも心配の材料になったにちがいない。私は耳まで赤くなって彼女を見つめたが、日差しは私の顔色を隠すのにちょうどいい赤さでいまだ辺りを照らしている。
「今日、今さっき、着いたばかりなものですから」
 しどろもどろになって答える私に彼女はうっすらと上品な笑みを浮かべてうなずいた。
「あら、そんなときにお声がけしてしまってすみません。遠いですものね、たしかに、移動するだけで疲れてしまいます」
 妙に、この時代に話されている日本語にしては丁寧すぎるほど端々のきちんと整った言葉遣いが、彼女の唇から出てくるときには不思議と違和感がない。生まれついての、絶対的な品の良さが支えるような麗しい響きを持つ言葉が流れるように出てきて話す人と、これまで私は何人か出会ったことがある。彼女もまたそういう、どこか違う階級の人なのだろう。異国の端で出会う、国内で出会うこともまずないような輝きを持って出てくる母国語の涼やかな響きに、思わず背筋がぴん、と伸びる。
「でも、それでも来た甲斐がありました。こんなに綺麗な海があって、楽園のような色で夕暮れがおとずれて、いい場所ですよね」
「ええ、本当に」
 うなずいてほほえむ彼女の姿は、まさに人でない者のような、淡く繊細な美しさをたたえていた。その桜貝の唇がゆるやかな弧を描いて動き出す。
「私にはこの海が、この、あらゆる青が閉じこめられてきらきらと絶えず形を変えて輝く姿が、この世界でなにより尊いものではないかと思うのです」
「ですからその宝石が次々に破壊されてゆくこの時代が、どうにも切ないような、むなしいようなものに、ときに思えてしまう。人が、便利さを享受する代償にされるには、あまりに大きすぎるものを犠牲にしていませんか」
 はっとして彼女の方を見ると、瞳は深く、深く、何千尋も降りていった先の海のように澄んだ悲しみが揺れていた。この人は本気なんだ。環境問題と口先で言うコメンテーターよりずっと、事実として何度も地上に在る楽園をその目で見つめ続けて、そうして抱えている暗さによって支えられた、本物の、実感を伴う哀しみを知っているのだ、と無言のうちに私は気が付いた。初対面で話しかけるには突飛な内容だが、彼女は、常に喉元まであふれるほど様々のことを考え水面を見つめている。その切実さに私は戸惑って、まごついた。
 どう言葉を返すか悩んでいると、不意に彼女の顔が再びゆるやかにほころんだ。安らかな微笑み。いいのですよ、と、答えを聞きたいのではない話なのですよ、と言うようだった。彼女はそのまま私に優雅な会釈をすると、立ちすくむ私にすみません、ありがとうございました、よい旅を、と言い残すとゆったりと夜に飲まれてゆく浜辺を歩いていった。

 翌朝、そのプライベート・ビーチへ私は水着で向かっていた。予約を入れておいたシュノーケリングの船に乗り込むと、船は青い鏡面をすべるように駆けだしてゆく。
 だんだんと加速し、浜を離れてゆくと私はあっと声をあげた。
「どうしました?」
 あわてて駆け寄ってきた乗組員にどう言えばいいのかわからなかった。私の目にたしかに映ったその景色を。
「あの人が……」
 彼女はたしかにそこにいた。海の真ん中で、私を薄く笑って見ていた。
 水面下に、魚の下半身を忍ばせて。

「地球人」

いよいよこの星はもう駄目だ、と国連が発表したのと宇宙航空開発局が火星基地は完璧な状態になりつつあると発表したのはほぼ同時期だった。人々は次々に宇宙船につめこまれ、火星へと運ばれていった。火星は既に人工的に温暖化させ「地球化」させてあり、多くの細菌、地衣類、植物は繁茂しつつあった。
 はじめ火星から眺める地球に言いしれぬ寂しさを感じていた人間たちはその植物たちに癒しを求め、やがて地球を忘れた。青い星は故郷ではなく、月か、金星のような、天文観測の身近な題材に過ぎない。火星はそれほどに居心地のよい「故郷」になっていたのだ。
 一方火星で人間が生命が育まれる間に、地球は徐々に自浄作用を取り戻し、再び青の惑星として息を吹き返し、やがて人間が活動していた頃には存在していなかった生物が次々と生まれていた。
 いよいよこの星はもう駄目だ、と国連が発表したのと宇宙航空開発局が移住しうる最も有望な星を発表したのはほぼ同時期だった。人々は次々に宇宙船につめこまれ、星へと運ばれていった。
 「火星人」たちはそこへ降りたって仰天した。
 というのも、地球は再び「火星人」とよく似た生き物を生み出していて、しかも彼ら――「地球人」はより優れた技術を持ち、少しの環境汚染も生み出すことなく豊かにこの星に暮らしていたからだ。


        
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